2014年8月28日木曜日

オタクが嫌われる理由 その2

前回、「オタクは存在しているだけで一般人の価値観を傷つけている」って話を書いた。
では、それはいつごろからなのだろうか。また、それは何故なのだろうか。

顕示的消費を行わず、自分の趣味に没頭する人間なんてのは昔から居たと思う。
それでもオタクという嫌われカテゴリが出来たのは、ここ数十年。
Wikipediaによると1970年代になってらしい。
(70年代というより、一般認識されだしたのは80年代だと思うが)

一般的な話では、そのころにマンガやアニメ、ゲームなどの現代風サブカルが大流行し、
そしてオタクと言われる人が出てきた・・・となっているようだ。

その流れは歴史的事実なのだろうけれど、「なぜ」が足りないと思う。

マンガやアニメやゲームが流行ると、それらを趣味にしたオタクという
一般人から嫌われる生物が出てくる・・・と。
本当にそれだけ?オタクだけが問題なの?

っていうか、長い人類の歴史の中で、
なぜ今になってそんな呪われた生物が発生したの?

呪われる宿命をもったオタとしては、まだまだ納得できないんじゃないだろうか。

で、それは社会全体の消費の内容が変わったからだと思う。
簡単に言ってしまうと、消費の中心が必要なものから不必要なものに移ったんだな。

本当に必要なモノが消費の中心だった時代

こんな事を書くと「何が必要かなんて人によって違うだろ」って、
そう思う人は居るだろう。その指摘は正しい。
一般人が必要と思うものに価値を見出せないが当たり前のオタクとしては、
至極健全な思考だと思う。

でもさ、そんなオタクでもクーラーは必要だと思うよね?

昔の消費の中心というのは、そういった誰もが欲しいと思うものだった。

今でいうオタクのような、他の人の活動に対し無関心な人さえも、
一般人が行う顕示的消費に対し「いいなぁ」と思ってた。

なので、オタクの様な人でも、見せびらかし消費ゲームが大好きな一般人の気分を害する事がなく、嫌われる事もなかった訳だ。

そして、本当は要らないモノが消費の中心になった現在

誰もが欲しいと思える物は、みんながすでに持っている。
学生が一人暮らしを始めて、次の週末には全て持っているレベルになった。

そこから先の消費は、ある人には価値があったとしても、
趣味が違う人にとってはガラクタにしか過ぎないものが対象になる。

自分が価値があると思い買ったものが、趣味が違う人にとっては無価値。
「スゲーだろ」って自慢したいのに、それが通じるのは同じ趣味を持った人だけ。
ややもすると「そんな物に大金出してバカじゃねーの」と、逆に馬鹿にされる始末。

消費に顕示的効果をも狙う一般人にとっては、あまり面白くない世界になってしまった。

でもこれ、オタクにとっては当たり前の事だよね。
自分が大金をつぎ込むものが、世間に受け入れられないなんて百も承知。
それでも自分にとっては価値があるから買う。
オタクにとっては日常すぎて、何が問題なのかよく理解できないだろう。

むしろ、本当の生活必需品をそろえる敷居が下がったから
趣味に割けるリソースが増え、快適度は増した。

とまぁ、不必要なものが消費の中心となった現在は
一般人にとっては、かつてより快適ではなくなったが、
オタクにとっては、より楽しい世界なのだと思う。

生物学っぽく言うと、見せびらかしが好きな一般人に淘汰圧が働き、
己の道を突き進むオタクの適応度が増す環境になった。
だからオタクが大繁殖してしまったのだと思う。

また、一般人にとっては、オタクは
今まで成功していた見せびらかしが通じない、不快な存在となった。
それと同時に、顕示的消費を煽ったり、価値観を売る商売をしている
マスメディアもオタクを邪魔な存在と認識。

かくして、カトリック教会および、その信徒による土着宗教弾圧の様な事態に発展し、
一般人にとって、オタクは忌むべき存在である事が常識化。

オタク趣味に没頭はしやすくなったので内では快適だが、
一般人による風当りは強く、お外ではちょっぴり暮らしにくい。
今の状況に至っている。

オタクが嫌われない世界

それはたぶん、
戦争やら大災害で、生活に必要なものが存在しなくなり、
みんなが同じものを求める世界にならないと難しいのだと思う。

例えばだけれど、
水や食料、空気までもが不足して高価になり、それらを大量に保持する事が、
生活の維持にも見せびらかしにも有効になれば、
一般人もオタクも、おそらくマスメディアも同じ価値観を共有できるようになり、
オタクが一般人やマスメディアにとって有害でなくなり、
オタクは嫌われる存在ではなくなる。昔の様にね。

むすび


結局、オタクが嫌われるのは、一般人が快適に暮らせていないからで、
なぜ快適でないかというと、
オタクが一般人の顕示的消費に付き合ってあげないからだ。
また、広告塔としてのマスメディアがオタクを敵視するのも、そこに原因がある。

かといって、オタクとしては、
くだらない見せびらかしのお買いもの(オタクにとってはガラクタでしかない)に
心の底から称賛したり羨んだりするのも無理だ。
マスメディアの売ろうとしているモノや価値観も、全くくだらないモノに見えてしまう。

両者の歩み寄りは期待できそうにない。
現在の、快適な生活をするためのコストが低い社会のままでは、
オタクが敵視される事を避けるのは無理だろう。

もしくは、どちらかが淘汰されて消え去るか・・・

2014年8月24日日曜日

オタクが嫌われる理由

これって、オタク趣味を持つ人が一度は考える事だと思う。

やっぱ人に嫌われているよりは好かれている方が良いわけで、どうにかしたい。
嫌われる原因がわかれば、どうにかなるのではないか───ってね。
御多分にもれず自分も考えてみたが、
オタクがオタクでない人(以下、一般人)に嫌われるのは当然という結論に至った。
(ノ∀`)アチャー

実は、オタクは存在するだけで一般人を攻撃している。

そもそもオタクってなんだろう

おたく(オタク、ヲタク)とは、
1970年代[1]に日本で誕生したサブカルチャーのファンの総称。
独特の行動様式、文化を持つとされる。

Wikidataによるとこんな感じ。 一般人的にはこれで良いと思う。
でも、オタクとしては、どうしてサブカルチャーなのか
どうして独特の行動様式、文化とされてしまうのか
そこに得心がいかぬのではないか。
そもそも、なぜ分類されてしまうのか

それは、一般人にとって不快だからだろう。

人間は、常に論理的思考をするように思われるがそうでもない。
脳の構造からいって、動物脳で発生した感情に、人間脳で理由付けとなる。
例えるなら、論理回路により数ステートで発生する感情に、
日本語等のインタプリタで「すっぱいブドウの理論」を追加する構造。

とある文化的一団が、一般人にとっては不快だったとする。
しかし、動物虐待や迷惑バイクみたいに非難する正当な理由が付けにくい。
そこで、自分たちとは別の人間なんだと納得する事で、
とりあえずの精神の安定を得る。
そうして生まれてきたのがオタクという分類である。

一般人に不快感を抱かせるのがオタクなのだ。

最近は、一つの分野に深い知識をもつ人を「オタク」と呼ぶ事もあり、
これについては賛同を得れないかもしれない。
だがしかし、それは本来の意味の「オタク」ではない。

例えば「オタク趣味」としたらどうだろう。
一般人が嫌悪感を抱きそうな趣味しか出てこないのではないだろうか。
私は、こちらが本来の意味の「オタク」であろうと考える。

では、オタクの抱かせる不快感とはなんなのか

例えば、熱心な一神教の人達の前で、「私は無神論者です」と言ったらどうだろう。
彼らが不快に感じる事は容易に想像できるだろう。
自分の事を言っているだけではあるが、彼らの価値観を攻撃している。

オタクの存在とは、一般人にとってこの無神論者みたいなもの。

一般人にとってオタクは、
一般の価値観から外れた価値観を信じる「異端者」であり、
存在を認めてしまうと、自らの価値観が傷ついてしまう存在なのだ。

つまり
オタクは存在するだけで一般人を攻撃している。

オタクと一般人の根本的な価値観の違い

でも、一般人カテゴリー内でも価値観の違いはあるわけで、
オタクの価値観だけがなぜこうも否定されるのか。
趣味だって多種多様に存在するのに。

オタクとしては当然の疑問だが、
オタクと一般人の間には、一趣味にとどまらない価値観の違いがあるのだ。
それは顕示的消費に対する価値観である。

一般人の消費活動には、その実質的な効果や、楽しさを享受する以外に、
他者との共感、さらには他者に対する顕示的効果も期待している。

車を買ったり、旅行に行ったり、美味しいものを食べたりも、
ただ自分が満足するだけではなく、
他の人に「いいね」と評価されるためでもあるのだ。

一般人どうしでは趣味の違いはあっても、顕示的消費を行うという事は共通するため、
顕示的消費自体を否定する事は行われない。

ところが、オタクの消費は自分が満足するためだけに行われる。
人からの評価はさておき、ひたすら自分の趣味趣向に従うのを良しとする。
顕示的消費に対しては消極的どころか、オタクによっては否定的ですらある。

その結果、一般人の消費活動全般に価値を見出さず、
思わぬ全面攻撃となってしまうのだ。

嫌われないオタクになるために

オタク趣味をもつだけで不快感を抱かれるわけだが、
直接付き合う人達の高感度を上げる事は出来る。

彼らの顕示的消費を肯定してあげるのだ。
彼らの顕示的消費を「いいね」と肯定してあげよう。

さらに、彼らに合わせて自らも顕示的消費をし、
同じ価値観を持っているアッピルをするのも効果的だ。

服装に気を付ける事は、直接の見た目の不快感を解消する以外に、
顕示的消費に肯定的であるアッピルにもなるため一石二鳥!

とにもかくにも、文化的差異を認識し、
彼らの価値観を傷つけないようにしよう。



でもまぁ、そもそもオタクが顕示的消費に価値を見出せないのは
他人にそんなに興味がないからだったりするので、
最終的に面倒くさくなって「嫌われてもいいや」ってなるんだけどな。