とりあえず本の感想
ブラック企業とは、違法性や過酷な労働環境の企業をさすのではなく、その本質は、選別と使い捨て構造にある───とし、
それにハマらなければ良いという、個人の問題ではなく、
国を滅ぼしかねない社会問題である───とする。
ただのブラック企業の実態をあげつらうだけの本ではないところがポイント高い。
また、ブラック企業の起源は、従来の日本型雇用であり、
そこから高福祉、安置雇用の待遇が失われ、
企業側の業務命令権限だけが残ったものである───という説明にも納得。
それに対する、対策なども挙げており、良い本になっていると思う。
個人的な違和感
しかし、個人的に少し認識が合わないところが無いわけではない。中小零細の待遇が良くないだけの会社を、ブラックとすることに憚るが、
ぶっちゃけ中小零細なら、選別と切り捨ては当たり前の事なので、
その定義からしたらブラックで良い。
中小は組織で稼ぐより、個のスペックに頼る所が大きいから自然とそうなる。
まともな教育などなく、即戦力として使えるのが当たり前。
その会社に適合する人間で、さらに、社長と合う人間しか残らない。
赤字の社員が居たら会社が傾く。それが中小零細。
しかし、その中小が成長し、組織で稼ぐ割合が増えたときに余力が生まれ、
スペックの低い社員、又は低くなってしまった社員も切り捨てずに維持できる体力になる。
また、社会的な評価を気にするようになった時、
「もう昔みたいに小さい会社じゃないんだから」と、ホワイト化する場面があったのだと思う。
大手企業がブラック化する事により、そこから中小にブラック精神が波及するのではなく、
ブラック中小が成長した場合に、ホワイトに脱皮する機会を失う事になるのだと思う。
そうして、ブラックのまま大手化する企業が再び発生することにより、
世の中のブラック化が進行していく。
また、
新興大手ブラックの他への影響で大きいのは、雇用安定性などの待遇面ではなく、
企業内競争の精神ではないかと思う。
内部の競争により組織で稼ぐ体質への以降が阻害され、
個のスペックで稼ぐことしか出来なくなる。
その結果、たとえそれで中小が成長したとしても、効率の悪い状態のまま。
そういった企業が増えることにより、組織で稼ぐという概念が消失。
全企業のブラック化に拍車をかけることになるのだと思う。
ブラック企業という概念の限界
しかし、ブラック企業という概念に限界を感じざるを得ない。客観的に見てブラックでも、それに適合する人間にとっては
「いやいやブラックじゃないよ」という、主観や感情でする話にやっぱりなってしまう。
その辺が、否定的な意味しかもたないブラック企業の概念の限界
ではないかと思う。
「切捨て型のブラック企業の方が、自分を肯定できる」って人って居ちゃうが、
「ブラック企業があっても良いじゃない」とか、
「ブラック企業です。だから何?」とは成らないわけで。
その辺が、ブラック企業の定義をこねくり回すことにもなっていて、
建設的な健全な議論に発展しづらい事になっている気がする。
個人的な思いとしては、
バートルのゲーマータイプ分類の認識で
多様なタイプの社員が生息できる会社、多様なタイプの人が生息できる社会。
又は自分のタイプで生息できる会社を探す。
そういうのを目指すような方が健全な議論が出来る気がする。
そういったものを目指す方向であれば、
ブラック企業の典型的例である、内部競争淘汰型、内部キラー型というような会社も
冷静に肯定することが出来るのではないかと思う。
「内部キラー型の会社」というのも有ってもいいじゃん?
もちろん俺は嫌だけど。
たぶん、普通の女の人は生息できないからムサい思うし。
「切捨て型のブラック企業の方が、自分は好き」と言われるとモニョるが、
「バトル好きな俺はあえて、
内部競争淘汰型企業でトップを目指すぜ」
という人になら「がんばれ」って言ってあげる事ができるのではないか。
まぁそんな事をすこし思ったりした。
だいぶ本の内容からズレた感想になったな・・・