2016年7月31日日曜日

【メモ】障害者とサトシ君の話題の整理用

2chでみたものを個人的に整理しておきたくなったので。

障害者のレベル

障害者と人くくりにして話されている事と、
障害者のレベルについての報道がなされない事、
さらには、多くの人が障害者と聞いてイメージするのは軽度の人。
その辺りが原因で、話がかみ合っていない気がする。

今回話しに出てきてる重度はどういうレベルなのか。
下記が理解の参考になるかもしれない。
重症心身障害児(者)とは(全国重症心身障害児(者)を守る会)
「横地分類(改訂大島分類)」記載マニュアル(PDF:210KB)

確か、IQは標準偏差で表すとN(100,15^2)な感じだから、IQ35は4.3σ外・・・
製造業の人間なら分かると思うが、かなーりイレギュラーな存在なのよな。

ところが普通の人が想定する障害者は2σ外。こちらは、結構いる。
100人に2人ちょい。
40人のクラスを思い浮かべた場合、
その中の一番ヤヴァイなって奴より少しアレな子が、もう一人追加でいるイメージ。


2chで貼られているグロ画像は、恣意的にチョイスされたものだろう。
ソースは確かめていない。

重度というと、知能的にはだいたい3歳未満で、
身体的には座位ができずに寝たきり。そういったレベルのようだ。

普通に暮らしていて出会うのは、運動機能に問題がなく、
知能的にも6歳児以上の軽度の人なので、
そのイメージで重度の人についての話に首を突っ込むと、話がかみあわない。

サトシ君のキチガイ性

頭で「殺した方が良い」という考えに至ったとしても、
実際に目の前にして、首を刃物で刺せるかというと、常人には難しい。

仮に、その常人には難しい行為ができる強い意志があったとしても、
薬物注射などではなく、ナイフでズブズブ刺していくのにも異常性を感じる。

また、施設で働いている時から、殺す目的とは別に虐待をしていたという話も有り、
「殺した方が良い」という思想とは別に、攻撃的な人格であった事が伺える。

それらの事から、パターンとして下記の3つが考えられる。
1.理性的に「殺した方が良い」という強い信念に至って行動した。
2.まず「殺したい」という欲求があり、
  「殺した方がみんなが幸せになる」のは完全な言い訳。
3.まず「殺したい」という欲求があり、
  「殺した方がみんなが幸せになる」という思想が強化された。

2と3の違いは、サトシ君が「殺した方がみんなが幸せになる」とどこまで信じているかによる。
周りにウソを付いているのか、自分にウソを付いているのかの違いとも言える。

あーだこーだ言われているが、実際のところは分からない。

行動はともかく、思想的な賛否

肯定派
1.人と思えない
2.昔なら殺していた
3.社会保障費の削減になる
4.自分があの立場なら殺して欲しい
5.介護する人が苦痛
6.大事な家族といっても、施設に隔離してるだけじゃん。
7.すでに、障害者を養える豊かな社会じゃない。
8.

否定派
1.非人道的
2.殺人者のような思想
3.障害者であっても家族にとっては大事な人
4.重症にあなるのは人口比で1/3000ほど。難病患者と同程度である。
  社会保障費の削減効果などほぼない。
5.重度の人は殺して欲しいなどとは考えない。
  (そもそも状況を理解する力も、思考する能力もないので)
6.障害者も生きていける社会が豊かな社会
7.従事するのが苦痛な職業なんていくらでもある。
8.重度や軽度の明確な区分けなど出来ないし、
  重度の差別を肯定すると、次は経度を差別するようになる。
  知的能力での差別を肯定すると、その次は老人が対象になる。
  一つを肯定すると、際限なくひろがってディストピアになる。
9.


2chみてて加筆したくなったらする予定

2016年7月18日月曜日

【まとめ】バイクはなぜうるさいと言われるのか【バイク騒音】

2chのスレにそこそこ有益な情報があったので、メモりつつ整理してみた。
バイク関連のマトメサイトは、バイクにネガティブな内容はマトメないし。
マトメといいつつ、項目があり過ぎてヤバい。

そもそも音が大きい

バイクに乗っている人は、車両の規制値だけ満足していれば良いと考えている。
しかしその値は、7.5mはなれた場所で71 dB。
これは、環境基準でいうと2車線以上の幹線道路で、
さらに昼間限定でなら許容される可能性がある・・・というレベルである。

また、実際には周辺から7.5mも距離は取れない。
7.5mとれるのは、片側2車線で中央よりの車線を走行している時くらいだろう。
片道1車線の道路なら沿道の建物から4mも取れないくらいだと思う。
仮に4mであれば、7.5mの時より+10dBくらいになる。

なので、普通のの道路では周辺の人がウルサく感じるのは当たり前
夜間になれば、幹線道路においてもウルサく感じて当然。
そういうレベルの音という事になる。

まぁバイクがウルサイなんて、バイクに乗っている人も知ってはいる事ではある。
言葉で「ウルサイ」と言われると認めたくないだけで。

「家の前で暖気してたら怒られた?そんなの当たり前だろ」
殆どのバイク乗りはこれに納得する。

さらに、
その規制値も、昔の車両には適応されておらず野放し。
さらには、レース用として規制値を無視したマフラーも出回っている状態でもある。

実際の車両は規制値よりいくらか下であろうから、その限りではないにしても
規制値を満足している → ウルサくないという図式は全く成り立たない事は認識すべきだろう。
バイクの加速走行騒音規制値と騒音の環境基準値

■参考用:騒音の環境基準
※()内は夜間

幹線道路沿い:70 dB (65 dB)
※個別の住居等において騒音の影響を受けやすい面の窓を主として閉めた生活が営まれていると認められるときは、
屋内へ透過する騒音に係る基準(昼間にあっては45デシベル以下、夜間にあっては40デシベル以下)によることができる。

病院等の療養所:50 dB (40 dB)
住宅街:55 dB (45 dB)
住居+商業、工業地区:60 dB (50dB)

騒音に係る環境基準について(環境省)

※環境基準法については罰則があるものではなく、
 どちらかというと個人ではなく行政が対処すべきもの。
 また、一定時間の平均としての騒音値である。
 なので、ここではあくまでもウルサイと感じるかの参考値として参考にあげる。
※騒音被害の判例でも、この値を越えるかが一つの基準となっている。
※環境基準の値は、建物の窓の位置での値である。
 片側1車線の道などで、仮に建物とバイクの距離が3.75mになる場合は、
 7.5mで71dBの音は、+12dBとして83dBとして考える。

実際の車両の加速騒音
(環境省のECE R41-04による新加速試験法の導入検討時の資料)
https://www.env.go.jp/council/former2013/08noise/y081-11/mat03.pdf
まぁ普通にうるさい。

車両規格さえ満足していれば良いという誤解

バイクに乗っている人の中には、
「車両規格さえ通っていれば、どんな走り方をしても文句を言われる筋合いは無い」
と勘違いしている人が居る。

実際には、車両規格を守っても刑法上の責任を果たしているに過ぎず、
民法上の責任は、それだけでは果たす事ができない。

逆に、車両規格を満足していなくても、民法上の責任は果たす事が可能であり、
その二つは概念が異なる。
しかし、それを理解できない人が意外に多い。

簡単に言うと、
他の人の生活圏内では
騒音は可能な限り出さない配慮が必要とされる。

これは社会通念上当たり前の事であり、
騒音に関する民事裁判においても同じ。

これはごくごく普通の、当たり前の事。
ピアノだってオーディオ機器だって洗濯機だって同じ。
刑法には引っかからないので、取締りは受けない。
しかし、周囲の人へ迷惑をかけないように配慮は必要。

しかし、バイク乗りはバイクに関することになると、
認知的不協和の解消が生じ、この当然の事を理解できなくなる。
(人間は意外と、自分に都合の悪い事は考えることができない)

そして、後述するようなウルサイ走り方をしてしまう。

公共の場に対する認識の違い(自由空間か、他人に配慮する場か)

バイクに乗っている人には、
他人に文句を言われる筋合いのない、自由な空間と考える人が居る。

しかし、公共の場を、他人に配慮が必要な場と考える人も居るので、
(むしろこちらが一般的であろうが)
そういう人にとっては、自由に音を出すバイクは迷惑とされ、ウルサイとされる。

乗り方がウルサイ1(加速時)

バイクに乗っている人は楽しんで乗ろうとするので、それによりウルサさが増すようだ。
加速を楽しむためにアクセルを吹かし、回転数を上げがちになる。

さらに、夜間などのすいた道路で飛ばしがち。
すいた道路=静かになった道路なので、そこで大きな音を立てると余計にウルサく感じる。

一般のATの乗用車であれば、加速を楽しむためでもないし、
同乗者や積載物にも気を使うため、アクセルを踏み込まず、
ゆっくりとした発進、加速になりがち。また、そのクセがついている。
音を気にしている人は少ないだろうが、それが自然と音を抑える事になっている。

そうした車との対比で、バイクだけが槍玉に上がりがちである。

乗り方がウルサイ2(減速、停止時のエンジンブレーキ)

MTのバイクでは、エンジンブレーキを使ってとまる。
これは、安全面でも、ミッションの構造の面でも、パッドの耐久の面でも、当然の選択ではある。
しかしこの音が加速騒音に負けないくらいウルサイ。
また、後で挙げる低周波騒音が大きく出る。

社会に迷惑をかける事を喜ぶバイク乗りにも、エンジンブレーキ派というのがいる程だ。
停止中の車両の間をすり抜けながら、周りに大きな音を吹きかけるのが快感らしい。

また、テクニックに拘る人達は、ブリッピングというわざわざアクセルを吹かす事もする。
当然、騒音の面ではマイナス。

そして、加速と違って規制値はない。

一方、乗用車はというと今や殆どATなので、エンジンブレーキをかけている人は少ない。
またMTであっても、ミッションの構造上どこからでもニュートラルに入れられるため、
わざわざエンジンブレーキは使わなくてもいい。
MTが多くのこるトラックなどでも、下り坂でもなければエンジンブレーキは使わない人もいる。

そうした車との対比で、バイクだけが槍玉に上がりがちである。

乗り方がウルサイ3(信号待ちで前に出て加速)

そもそも、信号待ちをしている車の横をすり抜けて前に出るのは、
道路交通法違反なのだが、ここでは騒音の問題としてだけ取り上げる。
割込み違反(wikipedhia)

信号待ちの車の列が出来た場合に、その横をすり抜けて先頭に出るバイクがいる。
その後、後続車に迷惑をかけないようにと、結構な加速をする。
当然、結構な音を出すこととなる。

これをやるのはバイクだけなので、バイクが槍玉にあがるネタとなる。

乗り方がウルサイ4(一人じゃない)

バイクで走っているのは、世の中に自分ひとりではない。
そして、加速のタイミングや原則のタイミングは、みんな似通っている。

加速(アクセルon)であれば、交差点の直後や、コーナー明け、上り坂などで行われる。
減速(エンブレ)は、交差点の手前や、コーナー手前、下り坂で行われる。

なので、そのポイントに居続ける人は、
何台ものバイクに同じような騒音を浴びせられる事になる。

バイクに乗るほうの意識としては、
「ウルサイかもしれないが、すぐ通り過ぎるのだから許容される」
と考えがちだが、そこに居る人にとっては
「何度も何度もウルサイ音を聞かされて我慢できない」
となっているようだ。

乗り方がウルサイ5(集団走行)

車などと比較して、集団走行をしたがる傾向がある。
当然、騒音源としてみたら良いことではない。

音質がウルサイ1(音の発生源の違いによるもの)

自動車の音は、タイヤの音、ロードノイズという音が大きい。
バイクの音は、エンジン音、排気音というのが大きい。

一般的に、特定の周波数だけが大きい音はウルサく感じるものである。

排気音は、根本的にはエンジン内の爆発の音であり
回転数×気筒数の周波数が突出して高くなってしまう。

一方のロードノイズは、タイヤの回転数に依存はするものの、
トレッドパターンにより発生音に広い周波数を含むようにしている。

そのため、ロードノイズ主体の自動車と比べると、
排気音主体のバイクはウルサく感じられる。

これは、タイヤや自動車メーカーが、
人に与える不快感を減らすべく研究してきた結果ともいえる。
昔は走行音が問題になることもあったようだ。スタッドレスタイヤなどで特に。

音質がウルサイ2(低音の遮音が困難な事によるもの)

周波数が低い音をさえぎるのは非常に難しい。
サッシメーカーの遮音特性などが参考になる。
どんな窓も、高い音はよく遮るが、低い音は筒抜け。

その結果として、室内に居るとバイクの排気音だけが目立つ事になる。

これは、単気筒のバイクにおいて顕著である。
(周波数は回転数×気筒数で決まるため)

また、周波数が低いと指向性が下がり、回折しやすくなる。
そのため、道路に向いていない窓や、換気扇のダクトなどからも音が浸入しやすくなる。
結果として、やはりバイクの排気音だけが目立つこととなる。
これは、マンションの上階では特に感じることが出来る。

昔に比べ、高気密だったり、高層の住居が増えたことにより、
バイクの音が目立つ結果になっているようだ。
バイク排気音の周波数と二重窓の遮音性能

また先の環境基準において、幹線道路沿いの建物に対しては、
屋内へ透過する騒音についても注意書きがある。
(昼間にあっては45デシベル以下、夜間にあっては40デシベル以下)
そのため、遮音しにくい単気筒バイクにおいては、日中の幹線道路沿いであっても、
フル加速時の騒音が適当ではなくなる可能性がある。

音質がウルサイ3(基準値がA特性である事によるもの)

音の大きさを測定するとき、素の音圧レベルを測定するのではなく、
人間の聞こえ方を考慮して周波数ごとに重みをかえた、A特性という測定で測定する。

しかしこのA特性は、40dBでの重み付けになっている。
そのため、音の大きさが変わってくると、重み付けが適正でなくなる。

80Hz の 40dB(A) と 800Hz の 40dB(A) は同じ大きさに聞こえる。
しかし、80Hz の70dB(A) と 800Hz の 70dB(A) では、80Hzの方が大きく聞こえるのだ。

放送業界等では、この問題があるため、すでにdB(A)の値を基準にしていないらしい。

昔は技術が発達していなかったため、一律40dBの重み付けで計るしかなかったが、
今なら、等ラウドネス曲線を忠実に再現した測定も出来る。
放送業界はすでにそちらに移行しているとの事。

とりあえず大きな音を鳴らしたいCM製作側があり、
それを規制する側の放送局側が試行錯誤していった形らしい。

とりあえず大きな音をならしたいバイク側という存在がある以上、
車両を規制する側も同じようにがんばってもらいたいものだ。

音質がウルサイ4(低周波騒音になっている)

低周波騒音は、ウルサイというよりダイレクトに不快感を与えたり、心身に悪影響がある。

定義はいろいろあるようだが、1~100Hzだったり1~80Hzを低周波音と呼ぶ。
低周波音は、ウルサイというより圧迫感や息苦しさのような不快感を与える音で、
頭痛、耳鳴り、吐き気、気分のイライラ、胸や腹の圧迫感、不眠、思考力の低下等々、
心身の不調を引き起こす。
低周波音とその人体への影響に関する研究について

体に影響が出る原因としては、人体の様々な臓器の共振周波数がその辺りにあるという説や、
動物にとっては、地震や鉄砲水、台風などの危険信号となる説なんかがあるが、詳細は不明。
人体への悪影響はかなり昔からしられており、
兵器として使えないかと真面目に研究された事すらある。
賃貸物件で拍手叩いて響いたら霊が居るなどと言われるのも、
空間の共振点が低周波音域にあり、体調を崩しやすくなるからではないだろうか。

今現代では、主に工場やエ※キュートなどで問題になっている騒音。

しかし80Hz以下というと、単気筒なら4800rpm以下なので、
単気筒バイクの出してる排気音は丸々低周波音という事になる。
2気筒であれば2800rpmくらいまで。
4気筒であれば1400rpmくらいまで。

一番影響が強いとされる20Hzは単気筒なら1200rpm
これも普通に使う回転数だ。

また、低周波音の測定と評価について環境省では
低音部を低く見積もるA特性ではなく、20Hzにピークを持つG特性での測定を推奨している。
バイクの排気音も、ただの騒音としてA特性で測定するのではなく、
G特性での評価も取り入る必要があるように感じる。

というか、単気筒バイクはそろそろ製造不可にした方が良いのでは・・・というレベル。
害があるものを良しとして、無差別に撒き散らし、関係ない人にも害を与える。
まぁ、全くタバコと同じ。

指向性の偏り

これは、マルチなど周波数が高めの車両の問題である。
周波数が高くなると、音の指向性が高くなる。
そして、バイクの排気音は主に後方に向けて出される。
(車のロードノイズは全方位なのでこの問題はおきない)

そのため、向かってくるときに聞こえる音は小さめだが、
通り過ぎた瞬間から急激に音が大きく聞こえてしまい、
沿道の歩行者等を驚かせる事になる。

一方、単気筒ビグスクなどは周波数が低いため、向かってくるときも、
離れていくときも、同じようなウルサさ。
さらに純音に近い音は方向性がつかみにくいため、
どこから来るのか分からないレベルで真逆。

これと比較すると、マルチの後方排気音の指向性が良く分かる。

しかし、そちらが良いのかというと、同じく不評だから難しい。

バイク乗りとその他の人の感じ方の違い

上述の音質の違いは、あくまでも純粋な音の感じ方によるもの。
こちらは、音を脳が解釈する時の話。

バイクに乗っている人は、その事で楽しい思いをたくさんしているため、
バイクの音は心地よい音として脳が学習している。
そのため、どんなに大きな音を出しても不快には感じなくなる。

しかし、バイクに乗っていない人は、そのようなプラスの学習はなされない。
むしろ迷惑な存在として、不快な音として脳が学習している。
こうなると、どんなに小さな音でも、聞き分けられたら不快でウルサイ音になる。

その結果、バイク乗りが何とも思わない音でも、他の人にはウルサイという状況が生まれる。

静穏権を侵害をする騒音としての妥当性不足

近年になって「静かな環境で暮らす権利」=静穏権というものが出てきた。
飛行場や鉄道、高速道路、コンビニ、保育園等々、様々なところで問題になっている。
※法的に明記された権利ではない。 憲法13条の幸福追求権、憲法第25条の生存権を基にした主張。

もちろん、どうしても出てしまう騒音というのはあり、静穏権というのが常に守られる訳ではない。
しかしながら、静穏権を侵しながらも認められる騒音というのは、
それ相応の公共性、妥当性などがあり、かつ、可能な騒音を抑える配慮が必要とされる。

今のバイクにそれがあるかと言えば・・・だいたいのケースでは無い。

移動や運搬のために用いられ、可能な限り騒音を抑えている(車両的にも、乗り方的にも)と、
客観的に認められる状態で出てしまうレベルの騒音。
それくらいであれば、妥当な騒音として許容されうる可能性はあるだろう。

しかし大抵は それ以上の騒音を出しているので、ウルサイとされてしまう。
もちろん、そもそも権利侵害になっていないレベルの音(環境基準を下回っており、かつ低周波音を出していない)であれば、別ですが。


また、現在国は超小型モビリティを推していこうと法整備を進めている。
こちらは電動が主になると思われる。
これが広まり、世間に認識されると、
バイク程度の移動や運搬の用に供する車両については、
世間の人が感情的に許容できる騒音のレベルは、こちらになるだろう。
そうなると、内燃機関の音を響かせてしまっている時点で、
騒音を抑える配慮が出来ていないとされる可能性があります。
そろそろバイクも電動に乗り換える事を視野に入れたほうが良いかも。

認識のズレ1(加害者側に生じる認知的不協和の解消)

加害者側には、自らの行いを正当化するために、自分に都合の良い認識がなされる。

バイクの騒音であれば、出す側は「耐えられないほど大きな音ではない」みたいな認識をします。
音の大きさについて小さく見積もられるのはもちろん、
「自分(又はバイク)の行いについて、周りが我慢すべき」というズレた認識がなされる。

そんな認識で出される音なので、
他の人にとってはウルサイと思うような音になります。

これは騒音に限った話ではありません。
また、人間として正常な反応なので、そのことを責めるべきではない。
むしろ、加害者側の認識にはバイアスがかかっている事を、
あたりまえの事として認め、共通認識とすべき。

認識のズレ2(バイクに乗ってみれば分かるみたいな誤解)

騒音に限らず、バイクに対して否定的な意見がなされた時に、
その否定的な内容に対して認めつつも、こんな反論がなされる事がよくある。
 「でもバイクは便利だよ」
 「でもコスパで考えたらバイクだよ」
 「でもバイクは楽しいよ」

これで反論になると思うらしい。
当然「それで楽しんだり得してるのはお前だけだろ」みたいに、反論される。
自分勝手な事を言っているだけになっている事に気付いていない。

これもまた認知的不協和の解消による。
自分の選択(バイク)を正しいとする方向に世界を認識するため、
他の人も将来的にバイクに乗る可能性があると思い込む。

そして
「お前らもこの楽しさを知れば、
 これくらいの音は気にならなくなる。」
「みんなも乗ってみようよ!乗ってみれば分かるよ!」
こんな考えが頭のどこかにある。
つまり、騒音を出してしまうのは仕方がないと考えている。
そんな人が音を出すんですから、それは他の人にはウルサく聞こえます。

多くの人にとって、バイクは移動手段の選択肢にすらなりえない。
当然、生涯乗ることがない。
そういう事を認識できていないことから生じるズレ。

認識のズレ3(自動車にもウルサイ車がいるから許される)

もちろん、排気音がうるさかったり、ウルサイ乗り方をする自動車はいる。
それがバイクがウルサイ音をだして良い理由にはならないのだけど、
バイクの音を非難されると「自動車だってウルサイ車がいる」という反論も良く出る。

その反論が正しいと信じているので、
ウルサイかもと思う音でも平気で出してしまう。

ちなみに、この思考に至るには2パターンあるようだ。

その1:自分だけ責められるのはおかしいと主張するパターン
子供によくあるパターン。分かりやすい。
そんな事をいっても、非難される事をしている事実は変わらないし、
ウルサイ自動車も同じように責められているのだが。

その2:世の中を、バイク乗りと自動車乗りの2グループの対立構造で見るパターン
バイク乗り以外はすべて自動車乗りグループ。
バイクへの批判は、自動車乗りのグループとしての主張なので、
自動車乗りグループにウルサイ車が居れば、その批判は打ち消すことが出来る。
そんな理屈のようだ。

しかし、バイクの騒音を責めてる人は、おそらくだが
ウルサイ自動車に乗る人と自分が同じグループに属している認識なんてない。
むしろ、ウルサイ自動車とバイクが、
"迷惑車両"という同じグループに属しているような認識だろう。(下図)

そんな感じで、話がかみ合っていない状態をよくみる。バイク乗りとその他一般の人の世界認識の違い

認識のズレ4(共感能力不足?)

バイクを趣味にもつ人の中には、社会や他の人と付き合うのが苦手な人が多くいる?

学業で落ちこぼれで反社会的に成っている人や、
周囲の人に避けられて孤立している人、独身中年男性、
さらには家庭内で孤立しているお父さん等々・・・
そういった人達が、バイクを趣味に持ちやすい?

そして、孤立している原因の一つとして、
他の人の気持ちを察して行動することが苦手だったり、
又は苦痛というパーソナリティの可能性がある・・・と。
なので、
バイクの音が他の人には迷惑である事に気付けない
・・・と。

バイクは、人付き合いをせず、さらに他人からの評価を見ることなく、
一人で自己肯定感を満たせる趣味ではある。
なので、精神病やアスペルガー等で人付き合いに難がある人に、
医師が趣味としてバイクを薦める事もあるぽい。
しかし、明確なデータは無いので、ただの悪口といえなくも無い。

でも・・・言われてみればその様な傾向が無くもないかな・・・と。
ちょいワルに憧れるオッサンに混じって、典型的なオタクっぽい人も多い気はする。

まぁ少なくとも、反社会的になってる人がそこそこ居て、
そもそも人の迷惑などお構いなしなのはあるだろう。

認識のズレ5(原因と結果の関連付けが苦手?高時間割引率?)

バイクに乗る人は、
自分の行動とそれが引き起こす結果の関連付けが出来ない人が多い?
又は、自分の行動が引き起こす結果を予測する事が苦手な人が多い?
又は、悪い結果を予測できても、目の前の欲求を我慢する事が出来ない人が多い?

なので、
自分の出した音が引き起こす影響を考えられない。

これもまたデータはない。
でも、バイクで事故にあったらどうなるかについて話すと、
乗らない人とは考え方が違うなとは感じる。

また、学習の動機づけについて、
物事の結果に対する影響で、運の要素が強いと考える人ほど学習意欲が低い
という調査結果がある。
それから考えても、落ちこぼれて社会に馴染めずバイクに乗り出す人達には、
他の人たちよりも、行動とその結果について関連付けが出来ていない人が多そうではある。

「不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまったんだよ」
事故についてこんな考え方をする人はそっち系だろう。

バイクに乗り続けると反社会的になっていく論

社会の中で、バイクは邪魔者扱いされがちである。
そうして邪魔者扱いされる立場に長く身を置くと、
社会に対して同調できなくなっていく。
それが行き過ぎると、反社会的行動もとる様になる。

そうして、社会に迷惑をかける存在となっていく。

これまた根拠なし。
でも無いこともないかなと思う。

カスタムしたくなるor大きなバイクに載りたくなる

自動車と比較してだが、バイクはカスタムしたくなる乗り物。
それで、マフラー交換しだして、音が大きくなる。

音を大きくしたくてマフラーを変えるというより、
何か手を加えたくなって、マフラーを変えてしまう。
そしてウルサくなる。

また、同じバイクに乗り続けると飽きる。
そして、年齢と共に財力もついていく。
すると、以前は変えなかった大型に乗り換えたくなる。
そのため、乗り続けると徐々にバイクが大型化していく。
そしてウルサくなる

自動車と違い、バイクはただの移動の手段ではなく、趣味的な意味合いが強い。
また、自分を表現するアイテムでもあるため、上記のようになる。

叩く側の心理1(バイクは少ない)

老若男女合わせて考えると、バイクに乗っている人は20人に1人居るか居ないか。
なので、乗っていない残り19人の側は安心して叩ける。

また、ほぼ1人で乗る用なのも影響が大きい。

一方、軽自動車などは普通乗用車と比べてウルサイとしても、
乗っている人に加え世話になっている人も含めると、関係者の数はかなり多い。
なので仮にウルサイと思っても、叩きにくい。

叩く側の心理2(ウルサイバイクしか見る機会がない)

自動車などは数が多く、また、ウルサイ改造をしていない車がも多いので、
道に目をやればすぐウルサくない自動車を確認できる。

しかし、バイクはそもそもの数が少ないため、自動車ほど見る事がない。
目をやる時というのは、ウルサく目立っているバイクに出会った時だけとなり、
バイク=ウルサイというイメージが固まる。

叩く側の心理3(バイク=不良)

3ない運動の時代のなごり。
しかし今でも、「バイク → 不良」ではないが、
「不良 → バイク」という認識はあるように感じる。

反社会的存在なので叩きやすい。



ユーザーの意識
ユーザーの人格

ヨーロッパの話

人に気を使えるか