旅行好きがウザイみたいなブログ記事があって、
コメント欄がワチャワチャしていたので、個人的に考え方を整理してみたくなった。
確かに、一般的に旅行は良いものとする風潮はあると思う。
長期連休の前後には「どこ行くの?」「どこか行った?」みたいに、
旅行すること前提での会話が繰り広げられるし、
全然旅行に行っていない事がバレると「どこか行かないの?」
「なんで旅行しないの?」みたいに不思議がられる。
まぁ、ただの価値観の相違なんだけど、
旅行が趣味じゃない人にとってはウザい状況。
個人的にはそこで、
「なぜ旅行に行きたがるのか?」を議論したくなるんだけど
旅行好きの人は、そういう会話がお好きではないから困る。
おうふ。
なので、旅行好きでもない自分が1人で妄想してみる。
なにを整理するか
まずは、
メリット・デメリットの整理
巷で議論されているコメントも、ソコに終始している。
分かりやすい話。
次に、
「なぜ旅行したがるのか」を整理したい。
旅行好きさんは、メリットがあるから旅行に行くのではない。
「好きだから」とか、「行きたいから」という感情的理由が主だと思う。
なのでメリットとデメリットのみの議論だと、話がかみ合わない。
最後に、
「で、どう対処するのが良いのか」かな。
旅行のメリット
・新たな発見がある
これには更に二つのパティーンがあるように思う。
一つ目は、主体的に探求していっての新しい気付きや、情報の入手など。(深堀り)
二つ目は、思いがけず新たな物事に出会う事。(哲学的な意味での誤配)
・人との新たな出会いがある
旅先で、又は道中で、ある。
・新しい体験ができる
食事やダイビング 等の体験型コンテンツがコレだろうか。
あと、街並みや人の空気感、歴史の重みなども体験・体感できる。
・快適・気持ちがいい等
避暑地的な意味の他、食事や温泉、現地風俗もコレだろうか。
体験型が知識やアチーブが目的の主であるのに対し、
こちらは、自然的欲求を満たすようなもの。
・話題性
「~行ってきた」という会話のネタが出来る。
・学習効果
実際に言って五感で体感しながら得た知識は、非常に忘れ難い。
・同行者と絆が深まる
友達やら恋人やらと行くと親近感UP!
・思い出が作れる。再現できる
非日常に身をおくことで、新たな思い出ができる。
また、再び訪れたときに若かりし日思い出がよみがえったり云々。
・顕示的消費効果
「~に旅行に行く自分はイケてる」って自己肯定感が得れたり自信がついたり。
「~に旅行に行く自分はイケてるやろー」な
ウェブレン効果も得れる。
「みんな行ってるのから自分も・・・」みたいなのも、消極的ながらコレだと思う。
「(根拠なしに)旅は良いものだから行く」という人も、たぶんコレ。
・達成感
「今まで以上に遠くに行った」だけででも達成感は得れる。
上位版として、「全ての県を制覇した」「世界一周した」
「~エリアのマップを全て開示した」などのアチーブもある。
・遠出に必要な能力が上がる
旅行を計画して、準備して、実行する事で能力が上がる。
これは、出張など必要があって遠出する場合にとても役に立つ。
・トラブルへの対応力が上がる
旅にトラブルはつき物。
なので、それらに対する度胸や対応力がつく。
また、困難な旅であればあるほど、自信がついたり、達成感が得れる。
旅行のデメリット
・コストがかかる
金銭的にも、時間的にも、気力、体力的にも、リソースを消費する。
・不確実性
上記に幾つかメリットを上げた。
しかし、いずれも確率的には存在するというもので、
メリットが得れない可能性も大きい。
確かに出会いがあるかもしれない。
しかし、無い可能性も十分にあるよね。みたいな。
・リスク(デリンジャー)
メリットの不確実性もリスクではあるが、ゼロではなくマイナスになる事もある。
しかも、そのマイナス幅は管理できないデリンジャーリスクとくる。
簡単に言えば、死亡、回復不可能なほど怪我やトラウマなどのリスクだ。
絆が深まるかもしれない一方で、破綻する可能性も・・・。
・楽しむにも下地が必要
上述のメリットを得るには、ある程度の素養が必要な場合が多い。
例えば
・現地の言葉が分かれば楽しめる範囲は増える。
・歴史や建築、社会学に明るければ、街並みの見方だけでも変わってくる。
高校生の海外旅行なんかより、人文学の教授が隣町を探索する方が、
得れる情報は多いだろう。
・舌が肥えていれば、現地の食事で得るものは大きい。
・出会いを楽しむにもコミュ力が必要。
既にそれらの素養を習得している人には問題がないかもしれないが、
ない人には、まず習得のコストから必要になり、一気に敷居が上がる。
なぜ旅行したがるのか
まぁ個人個人の価値観によると言ってしまえばそれまで。
しかし、客観的に見て
メリットを過大評価してデメリットを過小評価しているフシはあると思う。
その理由は、
1.快楽に対する古典的条件付け。
簡単に言えば、以前の旅行が楽しかったから。
次の旅行が楽しい保証はないし検証も不十分だけども行きたくなる。
2.コストに対する認知的不協和の解消。
「高かったけど、それなりに価値はあった!」と思い込むことが出来る。
3.コントロール幻想によるリスクの過小評価。
「大丈夫!自分はボラれたりしないし!危ない目にも遭わない!」みたいな。
4.しない場合の損失に対する恐怖。
などであろうか。
1~3は他の趣味やギャンブルに共通するものなので割愛するとして、
4の恐怖心は旅行特有のものじゃないかと思う。
さらにその恐怖心には、旅行の機会を損失する恐怖心と、
時を消費する事の恐怖心の2種類があると思う。
「若いうちにしか行けない」「今しか行けない」という恐怖心が前者。
実際、その機会損失は存在するのだけれど、
恐怖心により、「そもそも行く必要があるのか」の評価が甘くなっている気がする。
後者の時を消費する事の恐怖については、
ぶっちゃけ、「旅行しか知らないから」の場合が多いように感じる。
上述のメリットを得る方法は他にも色々ある。
それらを認識した上で「自分には旅行が合っている」
「やっぱり自分は旅行が好き」という結論を出しているのであれば、
「なんで旅行しないの?」みたいなトンチンカンな事は言わないだろうと思う。
どうすれば良いのか
あくまでも個人的な意見
旅行好きの人向け
・便益とコスト&リスクの評価はした方が良い
これをしないから「自分探しで紛争地帯に行く」みたいなのが出る。
また、旅行に否定的な人の意見も、多少は理解できるようになると思う。
・旅行だけでなく、他の事からも学んだ方が良い
「お前、何しに行ってきたんだよ」みたいな奴が多い。
歴史好きや、建築士の人が見てきたヨーロッパの話を聞くと有意義だった事が分かる。
しかし、なんの素養もない奴の話を聞くと
「お前は旅行するには早い。もっと勉強してから行ったら?」と思ってしまう。
食い物についてでも良いから、ガチで体験しに行って欲しい。
小学生がやるスタンプラリーと同じになっていないか再考が必要。
・旅行に興味がない人も居ると知る
所詮は趣味だという自覚は必要。
誰にでも「どこのファン」って聞く野球好きのオッサンと同じにならないように。
人によっては、ムダ金かけてバカみたいと思っていたりもする。
・レビュー内容に価値を求められる覚悟をする
本来、率直な感想を言っていればいいはずなのだけれど、
インターネッツで様々な情報が溢れる昨今では、
感想にも情報的価値を求められる場合がある。
それに応える義務はもちろん無いが、 応えられない場合は
その感想(時にはその体験も)が価値の無いものとされる事を覚悟する必要がある。
「ふーん。そんなネットで調べれば分かる事をわざわざ行って見てきたの?」みたいな。
旅行に否定的な人向け
・一応は、メリットを評価しよう
旅行にも確かにメリットはある。そこは認めよう。
指摘するなら、他の代替手段に対するコスパの悪さだと思う。
・便益について、長期的なものも考えよう
一つの旅行の便益(プロフィット)について考えるのではなく、
人生に旅行を組み入れる事の長期的な便益(ベネフィット的)なものも考えよう。
そうすれば豊かな人生を送れる(気になれる)(かもしれない)だろう。
・娯楽が少なかった時代の人の言う事は多めに見よう
しょうがないよ。それしか知らないんだから。
・旅行好きの人の価値観を攻撃しないように
「旅行行ってきたの?いいね!」って言って貰いたいのだから言ってあげる。
それくらいの心の余裕は持とう。
・たまには旅行する
たまにでも行くと、遠出の能力や装備が整って、次からはハードルが下がる。
急に何処かに行きたくなった時に、トレーニングしておいて良かったと思える日が来る
(かもしれない)。
・旅行の話を聞くときに、ハードルをあげない
相手はプロのライターでも、ブロガーでもないし、
そもそも情報を伝えたいわけでもない。
ただ話したいだけ。
なので、有益な情報を得ようとして聞くのではなく、
相手が感じてきた事を理解してあげるように聞く必要がある。
そして、可能であれば共感して、イイネ!ってしてあげる・・・と。
まぁ、そんな義理はないんですがね。
きっとそれが大人の対応ってやつ。