2016年12月30日金曜日

電通の過労自殺問題から、生産性だけに着目する事に疑問をもってみた

まぁ電通といえば、平均年収1200万くらいだし高給取りってイメージがある。
新卒の就職倍率も高いっぽくて、入ろうと思って入れるのは一部の人。
さぞかし優秀な人が入って、生産性も高いんじゃないか?
なんて考えてしまう。

しかし、このたび問題になったように、超長時間労働で、
理不尽なパワハラも多いらしい。
そこからは、生産性が高いイメージは得られない。

いやまぁ、四六時中も仕事の事を考えていて、さらに寝不足ぎみでハイになって
他の事が考えられないから逆に仕事にメッチャ集中できる様な時もあるし、
長時間労働全てが生産性低いとは思わない。

しかし、理不尽なパワハラと長時間労働が組み合わさったら、
生産性が低いイメージしか浮かばない。

そもそも、生産性が上がるパワハラがイメージできない。

そこで思った訳だ。

ぶっちゃけ、電通って生産性低いんじゃね?

そもそも電通に生産性が必要なのか

ぶっちゃけ、生産性なんて低くても、
既得権を上手く使えば、高い利益は得れるわけだし。

でだ、
既得権を上手く扱える人って、
上司という立場を上手く利用できる人じゃね?

部下をパワハラで叩き潰すような人の方が、
業者を安く使えちゃったりするんじゃね?

高橋まつりサンの自殺の原因をつくってたパワハラ上司みたいな方が
電通的には有能なんじゃね?

ぶっちゃけ、業界的には自己の生産性が高い人材より、
政治力や交渉力に長けた人の方が高い利益を生み出せそう。

まぁ酷い話をするが、
直属の上司からパワハラを受けた時に、真面目に努力して対処しようとする人よりも、
それより力を持った人に取り入ったり、寝技で解決できる人の方が、適してる気がする。

電通ってそういう会社なんじゃないかね。
社員にも生産性はそんなに必要ないのでは。

あれでも、それでも儲かっているわけだし・・・
それって、結局生産性は低くないのでは・・・?あれ?

「生産性」の定義を振り返ってみた

ここまで何も考えずに生産性という言葉を使ってきた。
ここまで使ってきた言葉のイメージは、「生産性」=「効率」。

仕事をする人の立場で、直感的に得れるイメージの生産性。
ムダを排除することで効率が上がり、生産性があがる。
そんなイメージ。

しかし、経済的というか統計で出てくる生産性というのは、
結局のところ「どれだけ金を取れるか」だよね。

つまり、製品やサービスに本質的には全く必要のないムダな業務だろうが
それで多額の金を取れるなら生産性は高くなるのだ。

「生産性」≠「効率」なんだよね。
なので、効率は悪そうだけれど生産性は高いってのがありえる訳だ。
イメージで言ってしまうと、電通はソレなんだとおおもう。

「生産性を上げよう」という旗に騙されないように

でも、生産性を上げようって話になると、やはり効率化を目指しがちに思える。
既得権を排除したり、ムダを省いて効率化、生産性を高めようってさ。

しかし、生産性の定義がから言うと、効率化をするとむしろ生産性は下がる場合もある。
効率が上がっても、価格を維持できずに単価が下がるのであれば、
生産性はむしろマイナスになってしまう。

規制緩和して競争させようなんてのは、まさにこの道。
白タクとか民泊とかね。
忙しくなるけど儲けは減るみたいな最悪パターン。


逆に、新たな規制を作ってハンコつくだけの役所を作る様なのは、
実は生産性の高い仕事を創出している事になる。

免許がないと出来ない仕事は給料が高い。
そういう社会の方が、生産性というのは高くなるわけだ。


まぁ、もちろん、
割高になれば需要も減るわけだから、総生産は減る可能性も高い。

しかし、過労死が減る方向の社会っていうのは、
需要が減って(仕事が減って)、仕事の単価が高い方向じゃないかな?

結局のところ、
効率化なんてしないで、そこで働いている人の賃金を守る事を考えたほうが、
とりあえず生産性は高くなって過労死も減るのではないだろうか。

システム的に考えると当然のことなんだけど
効率化は、すればするほど労働力が不要になり、
労働者の立場は不利になる。

そもそも、効率化して利益が上がっても、
賃金を上げる理由にはならない。
もうそろそろ、誰もが理解してもいいと思う。

もちろん、全体的な効率が落ちれば、分配すべきパイも減ってしまうので
それはそれで労働者にもマイナス。
利益が増えなければ、賃金を上げない理由が出来てしまう。
なので、考え無しに効率を下げるのはバカげてはいる。

しかし、労働の効率を上げる事は、分配すべきパイは増えるかもしれないが
(もちろん増えない可能性も多分にある。
飲食店の様に、人が食える量には限界がある等)
分配される割合は下がる。

そんなこんなで、
労働者にとっては、効率化は手放しに歓迎すべき事ではない・・・と。

まぁ、そんなのは一部の人が言い続けてきた事では有るのだけれど、
全体のパイを増やす事が大事な時期においては、
その考え方はマイナスでしかなかった。
なので煙たがれ、バカにされてきた。

しかし、何事も程度というか、バランスが大事だと思うんだよね。
中庸がベストというか。

今の時代においては、すこし考え直してもよいのかもしれないと思った。

自由主義の流れとは本当に逆行するが、もうこの際なので
既得権と利益の確保をしていた、中世ヨーロッパなどであった職人ギルドなども、
見直して参考にするのも良いかもしれない。


とりあえず、
生産性を上げるという名目で、効率化を唱える人は
逆の方向にアクセルを踏み込んでいる事になり、
さらにバランスを崩す事になっている気がする。

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