2016年8月20日土曜日

【メモ】企業の不具合は誰が作るのか──やりがい搾取時代の新しいプリンシパル・エージェント問題

少し面白いなと思ったのでメモ

少し前に話題になった三菱の燃費偽装の話やら
他にもいろいろあるリコールの問題やら
それらは、なぜ起こるのか?
誰が起こすのか?

そんな話題からでた話

不具合原因の変化


不具合が要求品質を満たせていない事とするなら、
結局、不具合の原因は、要求品質に対する能力不足。

設計能力不足、実験能力不足、製造能力不足、検査能力不足。管理能力不足。
他にもあると思う。

何らかの能力が不足していて、設定された要求品質に届きませんでした。
結局はそういう話で、それは今も昔も変わらない。

しかし、「なぜ能力不足になってしまうのか」が変わってきたように感じる。
もっと言えば、根本原因の要求品質が変わってきた。

1.「タイヤが外れてすっ飛んでいく事が無い」
2.「リーッターあたり○○km走る燃費性能」

この二つはどちらも、某M自動車さんが満たせなくて、隠蔽や不正をしてしまったものだが、
実際の事件では、影響が違うから分かりにくいかもしれないので、
燃費性能については下記の結果が起こったものとして考えてみよう。

2.の燃費性能を満足させるために、キワドイ設計をして、それが原因となり
タイヤがすっ飛んでいった(1.の要求品質が満たせなくなった)。

タイヤが外れないのは車両として絶対に必要な事。
しかし、燃費性能については満たせていなくても許される。(ウソさえ付いていなければ)
燃費性能を求めていった結果、タイヤが外れてしまう可能性が増えるのであれば、
消費者的には「そこまで頑張らなくていい」という品質ではないだろうか。

そんなバカな事をしてないだろうと思うかもしれないが、
不具合の原因を追究していくと、この手のものが多い。

燃費もそうだが、居住空間、デザイン性、値段等々、
消費者にとっては「出来れば良いほうがいい」
というレベルの性能を求めるために、
強度などの基本性能が落とされる事は多々あるのだ。

そして、それは最近特に増えてきたように感じる。

まぁ、メーカーとしては満たせなければ売れないという点で、
どちらも同じように重要な項目なので、しかたがないとは思う。
+αの部分で競いあう必要はありますし。

無茶な品質目標は誰が設定するのか

とまぁ、無茶な要求品質が基本性能を落とし不具合になるパターンが増えてる。
メーカー間の競争がその原因の一端となっていると。
それは仕方が無い。

しかし、社内的になぜそれを止められないのか。
そもそも誰がそんな無茶な要求品質を設定するのか。

それについて話す中で、面白い話が出てきた。

無茶な目標設定はやる気のある社員がする。
さらにその中でも、成果を上げようとする人、
出世欲の高い人が無茶な目標を設定する。

そして、それらは利益追求団体である会社としては、否定できない特性である。
また無茶でも意欲的な品質設定であれば、修正する事は難しい。

また、やる気がある人が設定した意欲的な目標設定に対して、
「いや、現実的にそれ無理っすよ」と忠告したら、
その人はやる気が無いと認定されて評価が下がる。
これでは止められるわけが無い。


もちろん、やる気のある人でも、
本当にユーザー目線で考えて現実的な目標を設定する人は居るし、
会社のとっても消費者にとっても、さらには社会にとっても望ましい人は多い。

しかし、それはちょっと違うんじゃねーの?
っていうタイプのやる気社員がいるのも事実

新しい形のプリンシパル・エージェント問題

昔ながらのプリンシパル・エージェント問題っていうのは
社員ってのは基本的にやる気がないので手を抜いたりサボったり悪さしますー
なので、それを監視したりするコストが発生しますーって話。
 
会社の経営者に限らず、
公務員やら政治家をエージェントとする市民としても関係する問題。
 
まぁそんなプリンシパル・エージェント問題だけれど、
やりがい搾取構造が当たり前になる昨今では、
昔ながらのプリンシパル・エージェント問題は発生しない。
 
なぜなら、「社員は基本的にやる気がない」って前程が崩れてるのだから。
(というか、監視コストも削減できるというのが、やりがい搾取の素晴らしい点の一つ)
 
しかし逆に、やる気社員が暴走してコストやリスクを生む
なので結局、やる気のある社員も監視する必要があるわけだ。
 
これはもう
新しい形のプリンシパル・エージェント問題
といっても良いのではないかなと思う。
 
まぁネーミングは適当だが、存在を認識する必要があると思う。
  

言いだしっぺはローリスク・ハイリターン

また、成功時と失敗時の評価バランスの悪さも原因になっていると思う。

問題になる事案というのは、
収益性やデザイン性を重視して、
安全性やコンプライアンスを犠牲にする様な場合だろう。
しかし、そんな発言は正式文書はもちろん、メールなどにも残せない。
そんな決断が社会的に許されないことは皆が認識している。
証拠が残ってしまったら大変だ。
 
もし言うならば、その決断を否定する覚悟がないと出来ない。
周りを大きく巻き込んで議論すれば、覆すのは容易かもしれない。
しかし覚悟がいるのだ。

それは、やる気がない社員、否定的な社員という評価を受ける覚悟でもある。
また、出世欲が高く、社内で成果を出そうとしているやる気社員には敵と認識され、
今後にわたり厄介な関係を強いられる覚悟も必要になる。
仮に、その人が本当に出世してしまった場合は、社内に席がなくなる。
 
その覚悟がなければみんなで口をつぐむしかない。
その結果、いわゆる共犯状態におかれ、
問題が発生した時には、全員で責任を取る事になる。
 
しかし、成功時には言いだしっぺや
積極的に推進した者のみが高い評価を受ける。
なので個人レベルで見たときには、ローリスク・ハイリターンになっていると思う。 
  

どう防いでいくか

ぶっちゃけ難しいなと思う。
原因である「やる気」を否定する事は出来ないし。
 
このあたり、リーマンショックの発生した構造にも似たところがあるように思える。
・資本主義や金融市場を否定する事は出来ない。
・成功時には個人が莫大な報酬を得るが、失敗時には社会全体で負担する羽目になる。
など。

なので対策もそちらが参考になるかもしれない。
 
といっても、そちらも上手く制御できてないと思うし、
やっぱ防ぐのは難しいのだろうなと思う。
出来るのは、リスクとコストの管理くらいかもしれない。

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